ルールズオブアトラクション

はじめまして、こんばんは。山田です。
 
 
前回の投稿。
乾先生は一見、軟派なボケをされましたね。しかし、葛藤を乗り越え、投稿に踏み切ったことは男気を見せた、と言えるのではないでしょうか。
私も乾先生に続き、ぎりぎりな所を攻めたいという気持ちがあります。がんばります。
 
 
その前に自己紹介をさせていただきます。
私は人生の始めの18年間を岐阜県で過ごし、その後を千葉県で過ごしております。現在は千葉大学大学院、修士課程二年生です。建文塾に本格的に勤めるのはおよそ半年後になります。
この8/8〜9/15の間、研修生として夏期講習のお手伝いをさせていただく予定になっておりますので、どうぞよろしくお願いします。

さて、千葉県といえば浦安市の「ディズニーランド」を連想される方が多いと思います。自慢ではありませんが、私は学生時代、女性と二人で「ディズニーランド」へ行ったことがあります!
それに関連して、今回は"恋愛"について考えてみたいと思います。狭い見識からの見解となっておりますが、どうぞお付き合いください。
 
 
「男は度胸、女は愛嬌」ということわざがあります。「男において大事なことは物怖じをしないこと。女において大事なことはにこやかでかわいらしい振る舞いである」という意味で、性差別的な観点から見ると、いささか前時代的な教訓なようです。
しかし、ことさらこのようなことが言われるのは、昔から男には"度胸"が、女には"愛嬌"が不足しがちであったということが考えられるのではないでしょうか。
(私の見解ではありません!ことわざが成立した要因についての一考察です。)

(私の狭い見識からの余談ですが、男には"愛嬌"が、女には"度胸"が備わっていることは多いように感じます。汗)

恋愛において、"度胸"や"愛嬌"が発揮された、といえる場面とはどのようなシーンなのでしょうか。それを考えるために恋愛のプロセスについて思い起こします。
 
 
「恋愛の発展において、お互いにコミュニケーションをとることが不可欠である(場合が多い)」という前提は共有していただけると思います。「6才のボクが、大人になるまで」という映画では、父が子に「好きな子を巡る競争に勝ちたければ、その子を質問責めにして、その子のことを深く知るんだ」と、アドバイスをするシーンがあります。
また、コミュニケーションにおいて、"言葉"が重要なことに異論はないと思います。他に"間"や"素振り"が語ることも多いということも、これを読んでおられる賢明な方々には自明の理であると思います。

これらの前提を踏まえて、"度胸"と"愛嬌"の発揮の仕方について考えます。
「恋愛はコミュニケーションをとることがなければ発展しえない」という論理が正しければ、意中の相手とはとりあえずコミュニケーションをとればいい、ということになります。しかし、"自意識"という問題があります。関心のある相手に「いきなり話しかけたら変じゃないかな」、「嫌がられたらどうしよう」等の感情を持つことは、私達の年齢になってもままあることです。
ここで度胸ではないでしょうか。

度胸とは「伝えたいことを(胸を張って堂々と)相手に伝えられるような心」ではないでしょうか。これを身につけるためには訓練がいります。たくさん恥をかきながら身に着けていくものです。伝えたいことをつくるためにも人間的な修行が求められます。全て伝えればいいというものでもないということも経験によって学んでいくと思います。

度胸を振り絞り、コミュニケーションをとることに成功したとします。挨拶や趣味の話をすることでしょう。その目的はなんでしょう。
突き詰めると「恋愛」の目的とは?さらには「人生」の意義、また「幸福」とは?という方向に進んで行くので、仮定を決める必要があります。
「恋愛の目的は意中の相手と親しくなること」としておきます。人と親しくなるためには「楽しい時間を共有する」必要があるはずです。(それは手段であり目的でもあるはずです。)
ここで愛嬌です。

愛嬌とはすばり「相手を楽しませようとする態度」から生まれるモノではないでしょうか。
こちらをご覧ください。
 
 
 
 
 
 
 

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はい。。。

このような「自分をよく見せよう」という意図がある素振りは愛嬌があるとはとらえられにくいように思います。接する相手を一人の人間として意識することで生まれる、恥じらいや愉悦等の感情を反映させた、自然な素振りが、愛嬌としてとられるように思います。これは訓練してできるものではないような気もしますが、「女性の笑顔は素敵である」ということには言及しておきたいと思います。
 

これらの考察を踏まえ、「恋愛において、男女両性ともに"自尊心"と"他尊心"を十二分に持って、相手と接することが重要である」と結論づけたいと思います。
さりげなく「写真でボケて」のお題もクリアしておきました。
 
 
 

余談ですが、私の瑞々しい青春の1ページを紹介させてください。
 
 
私が中学生の時分、私には同じ中学に、毎晩のようにメールを交換しあっていた女の子がいました。LINEなどない時代です。私は彼女を憎からず思っていましたし、彼女も私を好意的にとらえてくれていることは、メールのやりとりから分かりました。
しかし、メールでは饒舌である私も学校では彼女に話しかけるどころか、目を合わせることすらできないほどでした。多くの男子中学生がそうであるように、です。
 
そんな日々を暮らしていた時に、何かの流れで彼女と話をする機会を得ました。その時、彼女は落ち込んでいるような様子であったようです。
私は思い切って(本当に!)彼女の肩に手を置き、「まァまァ」とやりました。すると彼女は「さわらないで」と私の手を払いのけました。
 
 
私にはその彼女の素振りがとてもかわいく思えました。思うに、彼女の行動が「私(筆者)を異性として認めている」ということを語っていたからではないでしょうか。「ただの嫌悪感でしょ」とおっしゃる方もいらしゃるかもしれませんが、私にはそうは思えません。とても嬉しく、その証拠に10年経った今でも覚えているほどです。
 
このエピソードは男の"度胸"と女の"愛嬌"が見事に調和した例と言えるのではないでしょうか。(まぁそんな大層なものでもない。)生徒諸君にも、”度胸"及び"愛嬌"を持つことで、このような思い返すとフッとなつかしくなるような素敵な情景をたくさん作ってほしいと思います。
 
さて、冒頭、私は「ディズニーランド」に女性と二人で行ったことがあると言いました。その相手は「リトルマーメイド」のキャラクターに目がない姉でございます。私も"度胸"および"愛嬌"を兼ね備えた某プリンセスがお気に入りです。
 
ありがとうございました。
 
 

では、リレー企画「写真でボケて」も終盤戦です。内薗さん、ダメ押しのホームランをよろしくお願いします。

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