テレビと対話する人々

おはようございます。はじまりました、土曜の朝7時半は「〇〇な人々」の時間です。

今日のゲストは皆さんもご存じ、躍進目覚ましい建文塾の数学科を任されておられる、徳野先生です。では徳野先生、本日はよろしくお願いします。

 

『よろしく。』

 

さて、早速ですが本日のテーマに参りたいと思います。

本日のテーマは、、、「テレビと対話する人々」。なかなか奥が深そうなテーマですね。先週の「筋トレにはまる人々」に負けない反響が期待できそうですね。

徳野先生、まずこの「テレビと対話する」ことについてどう思われますか?

 

『そうだな。おそらく、世間一般では「テレビと対話する」「テレビに話しかける」ことは、恥ずかしいことであったり気持ち悪いことであると認識されているんじゃないかな。もしそうでなくても、普通ではないとみんな思ってるよね。』

 

ここでこの円グラフを見ていただきたいと思います。

当番組では事前に街頭インタビューを行いました。200人の方に「テレビに話しかける」ことは普通か否かを質問させていただき、その結果がこの円グラフです。

普通が16人、普通ではないが184人となっており、先ほど徳野先生がおっしゃられた通りの結果ですね。

 

『やはり、普通ではないという意見が大多数だね。しかし、ここまで普通と答える人が少ないとは。あと10人くらいはいてもいいかなと僕は考えていたので。』

 

と言いますと?

 

『普通ではないと答えた人の中にも、思わずテレビに話しかけてしまった経験が一度くらいはあるはずだからね。』

 

そうなんです。

バラエティー番組を見ているとき、芸人さんのボケに思わず突っ込んでしまい恥ずかしい思いをした。や、ニュース番組では、アナウンサーの言葉に知らずと相槌を打っていた。など、このような話は、インタビューで「テレビに話しかけるのは普通ではない」と答えた人からもたくさん出てきました。

徳野先生、これはどういうことなのでしょう?

 

『ひとつ確かなことは、テレビに話しかけることは「普通ではない」と多くの人が考えているけれど、「意味がわからない」という人は誰一人としていないということだね。』

 

たしかに。

 

『ではなぜ、テレビに話しかけることは「普通ではない」とされるのか。それは、ひとは決して一人では話すことはないと誰もが知っているから。生き物はみな、己のみで生きてはいない。他者の存在があっての自己。これに当てはまらない活動が「テレビと対話する」ということ。だから、テレビと対話する人はなんともシュールに見える。』

 

なるほど!そのシュールさが、恥ずかしさや気持ち悪さにつながるのですね。

 

『しかし、今後は「普通」と答える人が増えてくるのではと僕は考えているけどね。』

 

ほう、これは面白い意見が出ましたね。徳野先生の真意を聞かせてもらいましょう。

 

『理由は、現代社会にあるよ。

今、ネットがかなり普及し、他人と直接接する機会はどんどん少なくなっている。その反面、SNSはものすごい勢いで発達し、他人の存在をより身近に感じるようになっていっている。

するとどうなるか。一人でいても一人じゃなくなってくる。一人でテレビを見ていても、隣の誰かに話しかけるように言葉を発する。無意識にテレビに話しかけることが多くなる。』

 

もともと存在していたはずのシュールさがなくなるというわけですか。シュールさがなくなれば、今までテレビに話しかけることはあるが「普通ではない」と答えていた人も、「普通」と感じるようになるかもしれませんね。

 

『そう。実際、「普通」と答える人が今も少しだけれど存在するし、可能性はあるんじゃないかな。』

 

興味深いお話を聞かせていただきました。

日常の些細な疑問が、社会の現状を考察するひとつのてがかりになるとは思いもしませんでした。

徳野先生、今日はありがとうございました。

 

『僕も今日は楽しかったよ。』

 

では、本日はここまで。来週またお会いしましょう。