初めて種を蒔いた人の物語

どうも、まだまだ狩猟生活してます徳野です。

僕はお肉が大好き!毎食お肉を食べても全然飽きません。だから、時代錯誤と言われようが、誰が何と言おうと狩猟生活です。京都は盆地だから周囲を山に囲まれ、シカもイノシシもすぐ狩れるぜ。何の不自由もありません。

野菜や果物、穀物なんかは食べたくなったときだけ探しに行けばいいと思っています。実際、その辺で拾ったり、農耕生活をしている友達に分けてもらえるので、何の問題もないのです。

それにしても、農耕生活をしているなんてバカだなぁと思います。だって、野菜を食べたって力は出ないし、お腹もすぐ空きます。その証拠に、少しのお肉でたくさんの野菜と交換してもらうことができます。狩猟生活サイコー。

 

ある秋、あまりに良い天気だったので、僕は桂方面へピクニックに出かけることにした。お昼になりお腹がすいた僕は、山に入り、シカを狩ってお昼ご飯にしました。

お肉でお腹いっぱいになった僕は、甘いものが欲しくなり、なんとなく柿が食べたくなりました。今思えば、その日が10月26日だったからなのかも知れません。

なぜかって?

10月26日は柿の日。正岡子規が「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだといわれる日です。

そんなことを思いながら柿を探して歩いているとき、ふと山の斜面をみると、柿がたくさんなっているではありませんか。そのおおきく立派な柿を手に取り、食べてみると、、、

おいしい。すごくおいしい。

すぐに1つを平らげ、さあもうひとつと手を伸ばすとその手を誰かにはたかれました。

「この泥棒!」

そうです。この柿は、この人が育てたものだったのです。

僕はすぐに謝りましたが、もっと柿が欲しかったので、お昼の残りのお肉と柿を交換してもらいました。しかし、お肉は残り少なかったので、柿10個としか交換してもらえませんでした。10個だけだと5日もあれば食べきってしまうでしょう。

どうしようか。

また分けてもらおうか。いや、この柿が食べたくなるたびに桂までお肉を持ってくるのは大変だ。

他の柿で我慢しようか。いや、この柿を一度食べてしまったら、他の柿では満足出来ないだろう。

 

帰り道、うんうん悩みながら、そして柿を食べながら歩いていると、いいことを思いつきました。柿の種を口から吐き出した瞬間に、ピンとひらめいたのです。

「種を蒔いて、自分で柿を育てたらいいんだ。」

帰ると、さっそく種を土に埋めてみました。

翌春、芽を出したいくつかの苗木を、僕は大事に育てました。水をやったり肥料をあげたり。自分の柿を食べるのが楽しみです。

翌々春、柿の木は1mくらいにはなりましたが、まだまだ実をつけるには至りません。早くおいしい柿が食べたい。

8年後、やっと柿が実りました。しかし、あの桂の柿と比べると、実が小さいし、全然おいしくありません。悲しみ。

20年後、研究を重ね、あの柿の味に近いものができるようになりました。しかも、一人では食べきれないほどの量です。腐らすのはもったいないので、干し柿にしたり漬物にしたりして保存できるようにしました。これで、1年中柿を食べることができます。

 

狩猟生活ばかりだったときは、お肉の保存は難しく、狩りをしないと食べるものが何もないことがよくありましたが、柿を育ててみると、お腹が空けば、いつでも何か食べれるようになりました。作物を育てるのは難しく大変ではありますが、うまくできると安定して食糧を確保することができます。

 

「農耕生活も悪くないのう。」

 

END